手話なら飛沫もなく安心ですか

大分の小学校で休み時間に手話で話そう! という取り組みがあったそうです。

手話業界の人間であれば少しくらいは考えたことでしょうが、まさか実行するとは。受け入れている子どもたちもすごい。実際どれくらいの温度で実行したのかはわかりませんが、確かに手話なら飛沫リスクは下がるでしょう。

・・でも口を使わないわけじゃあありませんよ。

僕の職場、いわゆる窓口にはアクリルの飛沫避けがついているのですが、マスクがない人と話すと結構飛沫ついてます。ろう者だろうと手話だろうとマスクがなければやっぱ飛ぶんです。なんなら口のカタチに「パ」だとか「ピ」だとか飛沫がよく飛びそうな型ありますしね。件の給食ではもしかしてマスクしたまま手話するのかな? 初心者だと難しいかもしれません。

また、このような取り組みに対して美談として消費されるのがどうか、という意見や、強く批判している人もいらっしゃいました。

 

www.huffingtonpost.jp

 

 

 

 

これってろう者(と、手話学習者)のなかでも意見が分かれていると思うんですよね。

 

・手話が広まるきっかけになるのではないか。素晴らしい!

・本来の使われ方とは違う使い方を教えるのが正しいのか?

・手話という言語のいいとこ取りをしているだけじゃないのか?

 

否定的な意見を持つ方はこう言っちゃなんですがこの業界(?)のインテリ層が中心のように思います。一般の、ふつーのろう者たちはこのニュースを見て「いいことだなぁ」感じる人が多数派だと思います。実際私は10人程度のろう者に聞きましたがほとんどが「大賛成!」という感じで、否定的な感想を持った人はごくわずかでした。まぁ私がよく出会うろう者層は偏っておりますが。

とかくこういうニュースでは必ずしも一般ろう者の意見が載るばかりではない。というかニュースレベルだと日本語の苦手な中年〜高齢ろう者の意見なんてほとんど取り上げられないでしょう。さりとて大多数の意見が必ずしも正しいわけでもない。

こういうときってろう者、もっと大きくくくるなら障害者ってひとつにまとめられて語られがちですからね。実際はもちろん意見なんてバラバラでしょうし。

実際このニュースを聞いて否定的な感情が出た人もたくさんいらっしゃいますし、僕も特に賛成とは思いませんが絶対にダメとも言いづらい。大分のろう協の人たちは一生懸命協力しているのだろうなとも思いますしね。

でも議論がなされるのは良いことだと思います。話題にもならず消えていってしまうよりはねえ・・あくまでも手話を飯の種にしている僕にとっては、ですけどね。

 

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なんだかんだで戻した

 

マスク・ド・通訳

いささか機を逸した感はありますが、マスクをせずに業務に勤しむ手話通訳者たちに透明なマスクを・・というお話。

 

https://www.yomiuri.co.jp/national/20200501-OYT1T50285/

 

通訳のはしくれとしては、もちろん普通のマスクをつけて通訳するよりは透明なもののほうが良いとは思います。他のニュースでは指文字の「あ」と数字の「5」の手型は同じだから口が隠されているとよくわからないとの記述が。まぁ・・そう・・かな? そこかな??

僕は仕事でもマスクをつけたままろう者と話していますが、お互いに「マスクをつけている」という意識があればそれほどコミュニケーションを取るのには困らない気がします。片手でなにかを持ったまま手話で話すときも「いまは片手」という意識があればそれほど難儀しませんよね。それと同じかなぁ。僕の周りのろう者同士はマスクつけたまま話してます。高齢ろう者は比較的口の形に依存しない手話なのであまり関係ないんじゃなかろーか・・。

が、ニュースなどではもう少しオンライン通訳の可能性について取り沙汰されても良かったのかなと思います。そもそも通訳者が別室にいれば概ね問題は解決すると思うのですが、あまりその意見は出ていないように思いました。

 

ただ、個人的な経験に基づくと通訳に限らず我々は意外と多くの情報をその「場」から得ていると思うんです。聞き手の反応は? その日の天候は? 静まった会場なのか? BGMはあるのか? 流行りのzoom飲みも何度か参加してみましたが、思ったより話しにくくて僕のコミュニケーションは発言「以外」の役割が大きかったのだなと実感しています。この微妙なやりにくさは手話でも日本語でも変わりませんでした。

オンライン通訳において通訳者が得られる情報量が落ちてしまうのは仕方ないと思います。しかし通訳が現場に移動することなく職務を全うできるのは素晴らしいメリットですし、感染のリスクがある現状ではオンライン通訳を利用するほうが無難と思いますけど、新しい方法を始めるのはなかなか難しいのかもしれません。

 

今後のことを見据えて、オンラインでの手話通訳という選択肢を積極的に取っていくこと、そしてろう・聴問わず利用者もオンライン通訳の特性、特質に慣れていくことが大事だと思います。そうすることでメリット・デメリットも明らかになる。使い分けもできるようになる。

日本財団の電話リレーサービスなどもさらに利用者が増えてほしいです。現状9,300人くらいしか利用していないとのこと。うーん、意外とニーズがないのでしょうか。僕は普段接していませんが、難聴の方はかなりメリットあるように思えるのですが。通話無料だし笑


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あ、そういえば前回の記事の直後、つみたてNISAは大変なことになりました。

家族合計で30万もプラスだぜーウェーイと言っていたら2週間後にはマイナス40万ほどに・・驕る平家は久しからず。まぁ今回の相場はさすがに特殊ですし、長期放置プレイなんで気にせずいきましょう。それなりに戻したしね。

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でもマイナス

コロナウイルスとチェーンメール

以前チェーンメールについての記事を書きました。

 

udachika.hatenablog.com

 

そこでは消えゆく文化と紹介したのですが、それは誤りでした。令和の時代にもチェーンメールはろう者の間に脈々と受け継がれていたのです。今もデフ・コミュニティの中でメールではなくLINEを用いて本当かどうか危うい情報が拡散されております・・やりすぎてLINEからスパムと誤解されてアカウント凍結された人すら見たことあります。どんな使命感だ。

 

そしてそして、私がチェーンメールを再び目にするきっかけになったのが今まさに世間を騒がせているコロナウイルスだったのです。とりあえず私が見た中では・・

 

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「お湯がコロナウイルスの活動を抑制させる! こまめに飲んで! お茶でもいいよ☆」

 

「あおさのパワーがウイルスを跳ね返す! 毎日の食生活に取り入れてうんぬん」

 

「この空気清浄機は特注のフィルターがあって以下略」

 

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こんなのがありました。鼻水出そうになりましたよ。というか出た。なんだこれは。まごうことなき風説の流布

お、お湯? じゃあ暖房代節約のため毎晩ウイスキーのお湯割りを飲んでいる僕は安心ですね。しかし以前にも紅茶がインフルを・・みたいなのをどっかで見たな。最後のはなんかアレですよね? マルチみたいな雰囲気が・・

なまじホットな話題だけに、皆さん真面目に拡散しておられました。高齢(ろう)者にとってコロナはガチの死活問題ですからね。

 

しかしそんなことを思っていたら聴者もTwitterでコロナにかこつけ怪しい商売をしていました。波動がどうたら、EM菌、マスク転売・・こっちのほうがひでぇや。

Twitterは現代のチェーンメールだったのですね! 確かに【拡散希望】とか見たことあるわぁ。あれチェーンメールだったのか。物事の真偽もわからぬまま大声で拡散してしまうのは「良いこと」ではありませんが悪と断罪するには難しいですよね。本人は良かれと思ってしているのだから。

あっこれろう教育の歴史でもこんな展開見たことある!

 

とはいえかのジョジョでも

「お前は 自分が悪だと気づいていない・・もっともドス黒い『悪』だ・・」

という名セリフがあるからたまには自分の身体がどんな色をしているのか確認してもいいかもしれません。

障害者年金運用報告

障害者年金を運用するとどうなるか、という話をしてだいたい1年過ぎたので経過報告をしようと思います。

 

udachika.hatenablog.com

 

設定

・父母子の三人家族。母がろう(父でもいいけど)。

・障害者年金&心身障害者福祉手当と児童育成手当はすべて運用に回す。

・父と母の口座でそれぞれつみたてNISAを、子どもの口座でジュニアNISAを利用

・2019年1月より月に一度つみたてる。両親は33,333円/月(20年間)、子どもは66,666円/月(5年間)で初めの5年間は160万/年、以降は80万/年を運用に回す。

・購入する商品は「楽天・全米株式インデックスファンド」

 

いまは14回購入していることになりますね。

早速状況を確認してみましょう(先週末の数字です)。じゃじゃん!

 

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えっ・・私の資産・・増えすぎ?

 

はいはいはい、来ましたよこれ。もう30万プラスじゃないですか。みなさんこの1年で30万も昇給しましたか? した? 転職? 紹介してください。

冗談はともかく、いきなり17%もアップしているのはちょっとできすぎですがこのまま一喜一憂せずに淡々とつみたてるのが大事なので特にコメントはありません。調子良い年は20%アップとかあるしね・・逆もまた然りなんで・・というか今日めっちゃ下落してる・・。

 

今回のモデルケースだと両親と子どもの三人分ですが、結婚せずにひとりでつみたてるなら8万円ちょい、夫婦なら16万くらい増えてるということですね。

ひとりで無理せず月に2万つみたてだったら元金は14ヶ月で28万円、現在の評価額は32万ちょいになってるということです。

 

ともあれ今年もこの調子でいけるのかはわかりませんが、増えるにせよ減るにせよ折に触れて報告していきたいと思います。どっちでもおいしい。

 

本当に手話で子育てすべき?

ごくまれにですけど、聴者に「子どもが耳が聞こえないんです、どう子育てすれば・・」という相談を受けるときがあります。これがなかなか難しいんですよね。そもそも教育者でも医者でもなんでもない僕に聞くこと自体アレですけど、まぁそれは措いて。

かつてはろうの子どもが生まれたら手話で育てればいいんだ! ろう学校、できたら明晴学園あたりに入れて親も手話を身につければオールオッケー☆という意見だったのですが、いやいや、なかなかどうして今はそれほど簡単に答えられないなと思っております。

ちなみにろう者から「聴者の息子とのコミュニケーションが難しくて・・」みたいな相談もちょこちょこ受けます。というか、繰り返しになりますがなんで僕に聞くんですかね。

 

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■子どもがろう者

そうなんですよ、今は一概に「こうだ!」とは言えない。

さきほど親が子どもの世界に飛び込めばいい、なんて言いましたが子育ては大変です。このご時世ほとんどが共働き。仕事を終えて子どもを迎えに行ってごはんの準備をしてそこから手話を覚える・・というリソースがどこにあるというのでしょう。もちろんできる人はいるだろうけれど、すべての親が可能かとはまったく思えませんよね。いまからフランス語覚えられます?

仮に子どもがろう学校などで手話を身につけることができ、手話を母語として順調に育ったとしても、親が手話を身につけることができなかったら・・親とのコミュニケーション不足というリスクが起こり得るわけです。

それは母語を手話ではなく日本語にしてしまうときのリスクと天秤にかけられるようなものなのでしょうか。それにきょうだいがいたとして、上の子は聴者で下の子がろう者だったら? 家族間のコミュニケーションは手話にシフトしていくべきなのでしょうか。

僕はどちらかといえばそれでも手話を身につけるべきという考えですが、他者に自信をもっておすすめできるほどのエビデンスも熱意も持っていないですね。

 

■親がろう者

コーダの場合はどうでしょう。まぁコーダといってもいろいろですが。

家族の会話は手話で行われるべきなのでしょうか。両親の母語が手話であれば必然的にそうならざるを得ないと思いますが、親同士の会話が対応手話を含めた日本語であればどうか。僕の観測範囲だとこちらのパターンが圧倒的に多いです。

恐らく、ですけどコミュニケーションの精度は手話オンリーの場合より下がるように思います(大なり小なり音声に依存するコミュニケーション手段なので)。とはいえ彼らにとってはそれが自然なやりとりなのだからそれでいいわけです。親がわざわざ日本手話を覚えるのはナンセンス。

 

ろうの子どもが手話を母語とするのが望ましい、という理屈はろうの子どもにとって母語を手話にするほうが自然であり、身につけやすいからです。音声言語である日本語をろうの子どもが身につけるには時間がかかり・・言語の発達の遅れは精神のそれにもつながってしまう。それゆえろうの子どもが身につけるべき母語は日本手話>日本語という明確な優劣が存在する・・という論理ですね。僕もおおむね支持します。

しかしコーダはあくまで聴者であるため、母語は日本語でも手話であろうともどちらでも良いはずですよね。僕は基本的には子どもか親のどちらかがろう者であれば、親子間のコミュニケーションは手話(というよりろう者のルール、行動様式)で行われることが望ましいと思っています。でもそれは「低金利の今なら住宅ローンは変動金利」、「GLAYはビジュアル系じゃない」、「正史はフィンラケではなくベオラケ」みたいなもので、「まぁそうかもしれないけど人によるよね」という範疇ではないのかなと思います。

 

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とにかく子育てはその家庭の経済力、余暇の多寡、周りに頼れる人がいるかどうか、本人の性格、地域性などで難易度が大いに変わってきます。僕の周りだけでも家庭環境は多種多様。そんな状況を鑑みると、簡単に「家では手話でコミュニケーションを取ればいいんじゃないの」とは言えなくなってしまいました。

こういう気持ちが強くなったのは自分が親になったからかもしれませんがね・・。

というわけで相談されたときには「好きにすれば」をオブラートに包みまくった言い方で答えております。

通訳ひみつ道具

通訳現場に必要(とされている)ものってありますよね。

僕が学んだときは、、

 

・通訳資料

・筆記用具

・バインダ

・腕時計

・現場までの地図

・カロリー補給

 

もっとたくさんあったような気がしますが記憶が定かではありません。ただ、いずれにせよ僕は2009年にiPhone3GSが出たとき「あっ全部iPhoneでいいじゃん」と思ったんですよね。まぁ実際は当時のiPhoneではすべてまかなうことはできなかった(現時点でもカロリー補給はできません)のですが、その印象はいまでもハッキリ憶えてます。

ちなみに日本で最初に出たiPhoneはご存知iPhone3Gなのですが、当時は処理速度が遅すぎてあまりスマートではなかったです。これを仕事や連絡に使おうというイメージは沸かなかったなぁ。そこへ3GSでびっくりですよ。サクサク動く! こりゃマジもんだなと。そんな衝撃を体験したこともあり、僕はいまでも3GSが好きです。かたちも丸っこくて愛らしい。最近のiPhoneMacは可愛げがなくなってしまいましたなぁ。あ、脱線した。

ともあれ通訳にはこれ必須でしょ! 時計とGoogle Mapだけでもめっちゃ価値があると思っていましたが通訳のお姉さま方は誰も使っていませんでした。まぁ3GSの頃はね・・と言いつつも最近も地域の通訳者ではそこまでスマホ率高くないのでそもそもスマホを通訳に利用するという文化がないだけなのかもしれません。やっぱ高齢化・・?

時計と地図以外にも、現場で出たわからない言葉を調べることもできますし、英語が頻出する現場なら翻訳もできます。自分の読み取り通訳をあとで見直したければボイスメモも有効。資料ももちろん保存しておくことができる。使わない手はないですよね。

 

僕は通訳の資料はなるべくスマホタブレットで読むようにしています。PDFにしてスマホに入れておけば通訳中にも手書きで書き足せますので、必要なときにメモすることもできる。ただ手書きアプリも進化はしていますが、やはり紙とペンのほうが速いんですよね。このあたりもっと反応早くなればねぇ。アプリで書き込む場合、「手書きモード→太さを選ぶ→手書き」というプロセスが必要なので、例えば話者が細かい数字を出してそれをメモしたいときなどは一手遅れるんですよ。ちなみに私はMetaMoji Noteというアプリを利用しています。もう一歩なんだよなぁ〜。

 

とまぁそんな感じで試行錯誤しているのですが。

少し前の通訳現場にて、業務が終わり帰り支度をしていたときです。

 

お姉様「あなた、スマホを見ている時間が長かったけど資料見ていたの?」

『え? あ、はい』

お姉様「スマホで通訳資料を読むのはやめたほうがいいですよ」

『あ、そうなんですね! ちなみに理由って・・』

お姉様「遊んでいると思われるかもしれないじゃない?」

『あー・・なるほど』(え? どゆこと???)

 

意外すぎる返答に固まりました。

そのまま会話が終わってしまいましたが、僕はどう反応すべきだったのか。

仕事でスマホを使う層ってまだまだ一部なのでしょうから、ご意見自体は尊重します。ある意味僕は想定していなかった意見なので勉強になりました。皮肉じゃなくて。今度からiPadにしよう・・(違う)。あるいは僕の態度が遊んでいるようにしか見えなかったという可能性もありますね。これは気をつけねば。

さて、僕はどう返答すれば良かったのでしょうか。

 

選択肢1(つまらない)

そうなんですねっ☆ これから気をつけますm(_ _)m

 

選択肢2(反証)

スマホ=遊び」の認識が一般的であるというエビデンスを示していただけますか

 

選択肢3(論点ずらし)

スマホがなくても遊べますよ。大学時代、つまらない講義はアタマの中で回文たくさん作って遊んでましたからね。

 

選択肢4(過激主義)

別に遊んでても通訳できてればよくない?

手話は消えゆく言語なのか?

これから日本の手話はどのような道をたどるのでしょうか。

きちんとしたデータはありませんが、少子化ゆえに絶対数はもちろん、インクルーシブという旗の元、相対的にもろう学校に通う子どもが少なくなっている以上、現状においては衰退の一途をたどっている、と記しても良いと思います。あるいはその先に消滅という現象が起きる可能性もあるでしょう。

 

ナショナルジオグラフィックの記事に「言語の復興に必要なものはただひとつ、誇りだけです」(2012年7月号)という引用がありました。

この言葉がどこまで正しいのかはともかく、日本手話がこれから話者を増やしていく、というより話者を減らさないようにするためには、子どもたちにとって日本手話の習得にメリットがなければならないと思います。

 

ぱっと思いつくメリットはふたつ。

ひとつはその言語の話者であるということで自己肯定感が生まれること。前述の「誇り」に該当するものですね。もうひとつは経済的合理性・・要するにその言葉を使うことでお金が稼げるということ。

これから日本手話を受け継いで話していくはずの子どもたちに対して、これらメリットを大人のろう者は提示できればいいんです。きちんとお金を稼いで生活し、子どもたちのモデルとなれれば最高です。

 


◆誇りについて

 

かつてろう者の誇りはろう学校を始めとした聴者社会に傷つけられたという歴史があります。

手話の話ではありませんが、興味深いエピソードを見つけたので引用します。

 

「わたしがフィールド調査を九州で本格的に行うようになったのは、1980年代なんですが、その頃は、方言の地位が非常に低くて、地元の人もそれを守ろうという気持ちをあまり持ってなかったんです。私が調査に行きますと、多くの方は、方言なんて恥ずかしいから聞かないでくれと。聞かせてくれても、汚い言葉でしょ、なんて恥ずかしがられるんです。女の人は特に恥ずかしがる。もちろん、当時、日常生活では使っていたんですよ。なのに、自分の子にはあまりしゃべってほしくないと思っているから教えない……」 

 

 

これってどこかで聞いた話だと思いませんか。

もちろん手話の場合はそもそも「耳が聞こえない人間」のための言葉なので一概にイコールでは結べませんけれど、こちらの方言のエピソードにおいては、大人たちが自分たちのことばに誇りを持てていない。ましてや彼らの元に生まれた子どもからすれば誇りなんぞ持ちようがありませんよね。

 

もうひとつ別のエピソード。

 

「(前略)方言札というのがありまして、学校で方言をしゃべると罰で札を下げさせられるんですよ(後略)」

 

 

これなんてまるきりろう学校のペナルティじゃないですか。

こういった抑圧が「別の言語を母語とする」教師から、「良かれと思って」「指導」されていたわけです。僕は高齢のろう者と話す機会が多いのですが、自分たちの子どもには手話を教えたくない、という意見をお持ちの方がたくさんいらっしゃいました。子どもが聴者であろうと、ろう者であろうと、です。

こんな扱いを受けたらそりゃあ誇りも持てなくなりますよね。

 

◆経済的合理性について

 

ずっとずっと昔であれば「誇り」さえあればなんとか話者の数を保つことができたかもしれません。ろう者はろう者だけのコミュニティに属してさえいれば良かった。しかし今はグローバル社会。嫌でも外の世界の情報が入ってきます。同じろう者なのに日本語を憶えた人だけが聴者社会でお金を稼ぎ、恵まれた生活を送ることができる・・となったらどうでしょう。

子どもたちは「誇り」じゃおまんまは食えねぇよ! って思うかもしれません。

手話を話すことでお金になるかどうか、というか話せることばが手話だけでも充分に恵まれた生活が送れるかどうか、という部分がポイントになるでしょう。

こうしてみると現代において言語に誇りが持てるかどうかはすでに経済性と切り離せない問題なのかもしれません。メリットをふたつに分けて考えましたが、どちらかというと「誇り」に「経済性」は内包されていると考えたほうが良いかもしれませんね。

 

僕はもちろん自分の生活のためにも、今後も日本手話は絶えることなく伝わって欲しいですし笑、ろうの子どもたちが自分の意志で手話を使っていくことを選べるような環境であればと願っています。

だからと言って彼らが日本語を選ぶことを否定するわけではありませんがね。

 

この記事の引用文は以下の記事を参照しています。

https://natgeo.nikkeibp.co.jp/nng/article/20120627/314020/

 

また関連して岡氏の論文が面白かったので興味のある方はそちらも参照ください。

日本手話:書きことばを持たない少数言語の近代

http://hdl.handle.net/10086/22860