手話は消えゆく言語なのか?

これから日本の手話はどのような道をたどるのでしょうか。

きちんとしたデータはありませんが、少子化ゆえに絶対数はもちろん、インクルーシブという旗の元、相対的にもろう学校に通う子どもが少なくなっている以上、現状においては衰退の一途をたどっている、と記しても良いと思います。あるいはその先に消滅という現象が起きる可能性もあるでしょう。

 

ナショナルジオグラフィックの記事に「言語の復興に必要なものはただひとつ、誇りだけです」(2012年7月号)という引用がありました。

この言葉がどこまで正しいのかはともかく、日本手話がこれから話者を増やしていく、というより話者を減らさないようにするためには、子どもたちにとって日本手話の習得にメリットがなければならないと思います。

 

ぱっと思いつくメリットはふたつ。

ひとつはその言語の話者であるということで自己肯定感が生まれること。前述の「誇り」に該当するものですね。もうひとつは経済的合理性・・要するにその言葉を使うことでお金が稼げるということ。

これから日本手話を受け継いで話していくはずの子どもたちに対して、これらメリットを大人のろう者は提示できればいいんです。きちんとお金を稼いで生活し、子どもたちのモデルとなれれば最高です。

 


◆誇りについて

 

かつてろう者の誇りはろう学校を始めとした聴者社会に傷つけられたという歴史があります。

手話の話ではありませんが、興味深いエピソードを見つけたので引用します。

 

「わたしがフィールド調査を九州で本格的に行うようになったのは、1980年代なんですが、その頃は、方言の地位が非常に低くて、地元の人もそれを守ろうという気持ちをあまり持ってなかったんです。私が調査に行きますと、多くの方は、方言なんて恥ずかしいから聞かないでくれと。聞かせてくれても、汚い言葉でしょ、なんて恥ずかしがられるんです。女の人は特に恥ずかしがる。もちろん、当時、日常生活では使っていたんですよ。なのに、自分の子にはあまりしゃべってほしくないと思っているから教えない……」 

 

 

これってどこかで聞いた話だと思いませんか。

もちろん手話の場合はそもそも「耳が聞こえない人間」のための言葉なので一概にイコールでは結べませんけれど、こちらの方言のエピソードにおいては、大人たちが自分たちのことばに誇りを持てていない。ましてや彼らの元に生まれた子どもからすれば誇りなんぞ持ちようがありませんよね。

 

もうひとつ別のエピソード。

 

「(前略)方言札というのがありまして、学校で方言をしゃべると罰で札を下げさせられるんですよ(後略)」

 

 

これなんてまるきりろう学校のペナルティじゃないですか。

こういった抑圧が「別の言語を母語とする」教師から、「良かれと思って」「指導」されていたわけです。僕は高齢のろう者と話す機会が多いのですが、自分たちの子どもには手話を教えたくない、という意見をお持ちの方がたくさんいらっしゃいました。子どもが聴者であろうと、ろう者であろうと、です。

こんな扱いを受けたらそりゃあ誇りも持てなくなりますよね。

 

◆経済的合理性について

 

ずっとずっと昔であれば「誇り」さえあればなんとか話者の数を保つことができたかもしれません。ろう者はろう者だけのコミュニティに属してさえいれば良かった。しかし今はグローバル社会。嫌でも外の世界の情報が入ってきます。同じろう者なのに日本語を憶えた人だけが聴者社会でお金を稼ぎ、恵まれた生活を送ることができる・・となったらどうでしょう。

子どもたちは「誇り」じゃおまんまは食えねぇよ! って思うかもしれません。

手話を話すことでお金になるかどうか、というか話せることばが手話だけでも充分に恵まれた生活が送れるかどうか、という部分がポイントになるでしょう。

こうしてみると現代において言語に誇りが持てるかどうかはすでに経済性と切り離せない問題なのかもしれません。メリットをふたつに分けて考えましたが、どちらかというと「誇り」に「経済性」は内包されていると考えたほうが良いかもしれませんね。

 

僕はもちろん自分の生活のためにも、今後も日本手話は絶えることなく伝わって欲しいですし笑、ろうの子どもたちが自分の意志で手話を使っていくことを選べるような環境であればと願っています。

だからと言って彼らが日本語を選ぶことを否定するわけではありませんがね。

 

この記事の引用文は以下の記事を参照しています。

https://natgeo.nikkeibp.co.jp/nng/article/20120627/314020/

 

また関連して岡氏の論文が面白かったので興味のある方はそちらも参照ください。

日本手話:書きことばを持たない少数言語の近代

http://hdl.handle.net/10086/22860