手話やってなーい

私の本務が手話とはどんどん離れてしまい、しかも忙しくなってきたことでたまに受けていた通訳依頼もこなせなくなり、もう自分はこの業界に関わっていると言えるのか? よくわからなくなってきてしまいました。

せっかく身につけた技能なので手話に関わる仕事は続けたい。転職はもちろん考えていますし、前の業務に戻れるよう上長と交渉もちょこちょこしています。思い切ってサラリーマン引退して通訳一本(+年金&配当、奥様パート頑張る)という手もないことはないですが、まだ時期尚早かなと。

 

というわけで2023年、この業界がどうなっているのか今まで以上にわからない。

ろう者のいまホットなトピックとはなんでしょうか。YouTubeの怪しい手話チャンネルはまだ続いているのか、いまはインスタなのかな? 

コロナ以後、ろう者全体の動きというものが減り、若い世代に見られる散発的な活動がより増えたと感じています。というかろう者コミュニティがとても細かく分散したように見受けられます。このままろう者や手話という概念もさまざまに定義され、少しずつ聴者社会に吸収されてゆくのかなと想像しています。良いか悪いかはわかりません。

 

いまから手話を学ぶ、というより手話を仕事として学ぶのはかなり厳しい道なんじゃないかな。少なくとも手話+αが必要になるでしょうね。

すでに更新は止まっていますが、今後はNISA運用報告ブログとして障害者年金の価値を訴えて参ります笑

 

残り3ヶ月!

 

文化的価値としての手話

先日、というか結構前ですけどNHKの「手話で楽しむみんなのテレビ〜怪談・奇談編」

https://www.nhk.or.jp/heart-net/movie/271/

 

という番組が放映されていたので観たのですが、面白いな〜と思う反面、いろいろ思うところもありました。

一番大きいのは、この物語をろう者が観てどれくらい理解できるのかという疑問。

ストーリー自体かなりハイコンテクストなのでなんというか、手話&ろう文化と親和性があまり高くない物語だったように思います。原作の登場人物が聴者なので当たり前っちゃ当たり前なんですけど、登場人物の振る舞いがいかにも聴者的でね・・もちろん製作者はそんなことはわかった上でチャレンジしているのでしょうけれど。

とはいえその違和感も楽しみ、ろう者独自の世界にも触れながら語られていくストーリーは、一種の伝統芸能のような趣がありました。

 

そう、「伝統芸能」です。

 

このような形で手話を残すという方法もあるのだなと思いました。

つまり、普段使われる手話ではなく、物語で使われるような手話を残すということ。文化としての手話。

手話でメシを食っている私にとってもそうですし、何より誰よりろう者自身にとっては受け入れがたいことかもしれませんが、順当に行けば手話話者は減っていく一方でしょう。科学の発達(?)を考えると四半世紀・・いやさすがに早いか・・? とにかく次の世紀を待たずに「ろう者」


は消えてしまうかもしれません。

そうなる前に文化としての手話を残し、伝えていくことは意義があるように思えます。国語の授業でも古文や漢文を学びますものね。手話にとってのそれはドラマや舞台、狂言なのかもしれません。

文化を残すことは大事なこと、と思いつつも一抹の寂しさもあります。

アイヌ語アイヌ文化と似たような変遷を手話も辿っていくのかもしれない・・と。

 

とはいえ所詮は聴者の、しかもおっさんの言うことです。

あのドラマを観た若いろう者に、こんな話し方や表現があるのだなとビビッドに伝わっていればそれでいいのですけれど。

 

ジュニアNISAはあと1年半くらい

電話リレーサービスの時給って?

電話リレーサービスの通訳って時給が2000円くらいと聞きました。

この業界で仕事している人のなかではまぁ上位ですね。おそらく手話業界の人材にある程度動きが見られたのではないでしょうか。実際僕の周りでそこそこ手話ができる人は結構アルバイトしています。

 

確かに時給2000円ならフルタイムだと2000円*8時間*20日*12ヶ月で年収384万です。この金額をどうとらえるかは様々でしょうが、少なくとも手話業界では悪くない収入です。それにフルタイムじゃなくてもスポットで入れるわけだし、おそらく自宅からも可能なのでしょうし、いいですよね。僕も登録するか・・?笑

 

総務省という錦の御旗を掲げていることもあり、大量の雇用とそれに応える予算も潤沢にある。領収書や明細書をしっかりご覧になる方はご存知の通り、国民が所有する電話番号ひとつにつき毎月1円ずつ徴収しておりますし、電話リレーサービスの利用者からもお金をとっています。高いけど。

実際問題として、人材が電話リレーサービスに取られてしまって困っているという話もちらほら聞きます。確かに地域の通訳なんて下手したら時給1,500円ですし、今後はそういった仕事が淘汰されてしまうかもしれませんよね。

 

当然ですけど、この流れで行くと次はオンライン手話通訳だと思うんですよ。スマホさえ持っていればいつでも通訳を頼めるという状況になる。さらに人の手を借りずとも・・AIによる手話通訳もいずれ実用化されるでしょう。もちろんこちらは来年とかそういうレベルの話ではないと思いますが、いつかはたどり着くはず。手話通訳の未来は暗いです。

ただ、AIによる手話通訳はとにもかくにも解析するための動画データが大量に必要になります。某外資系の方から話を聞いたのですが、AIに手話を覚えてもらうための動画データをスムーズに集めるため、いわゆる関連団体に協力を依頼しても、あまり対応してくれないとのことです。自分たちを脅かす存在だと思われているのかな・・とこぼしていました。まぁそうでしょうね笑

その方も協力を拒まれる状況に対して、それでも技術の発達は止まることはありませんからねえ〜とドライにおっしゃっていましたが、傍で聞いていてもこの思想はウェットな手話業界には受け入れられないだろうなと思いました。良い悪いではなくて技術屋さんと福祉の現場で一緒にろう運動をしてきた人間とでは価値観が違いすぎる。LINEやZOOM、あとはGoogleが本気を出せば手話の動画データなんてうなるほど手に入るのでしょうが、そう簡単な話でもないのかな。

 

とはいえ、“Technology will always win”とインテルの方が言った通り、いずれはその時が来るでしょう。それまでに若い業界人(?)は自分の立ち位置をどうするのか考えないとですね。もちろん手話一本で食っていこうという聴者はそれほど多くはないと思うのですが、自分たちが不要になるのかもしれないという意識を持てるかが問われそうです。新しい技術を否定するだけではなく、ある程度世の流れに乗っていたほうが上手く立ち回れる気がしますけど。

 

 

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まだ増えてる

udachika.hatenablog.com

ろう通訳とは?

私もよくわかってないんです(完)

オリンピックの閉会式にろう通訳があった、ということで一瞬周りが賑わいましたが、そもそもこの業界にいても「ろう通訳」のことをよく知らない方が多いと思います。私の周囲には高齢ろう者が多いので若い人はそうでもないのかもしれませんが・・

ごくごく普通に考えて、なぜわざわざろう者を挟んで通訳するのか??

 

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理屈だけ考えると、わざわざ通訳の人数を増やすのは無駄でしかありません。つまりろう通訳が必要とされているということは、充分な技術を持つ聴者が不足しているということ。

もちろん常にろう通訳が必要とされているわけではなくて、例えば学術会議や今回の催し物、ほかには国や自治体からのメッセージなど、特に高い技術が求められる通訳現場での話だとは思います。

手話通訳士だけに限っても現時点で人数は全国で3,831名。私の肌感覚(都内)で申し訳ないのですが、上記のような場面で通訳ができる人材は10%程度ではないでしょうか。東京は827人か・・80人もいるかな?

そもそも一度取得すれば更新もない資格なので、827人のうち現役で手話を行っている人がどれくらいいるのかもわかりませんからね。高齢化も激しい。2018年の時点で平均年齢55.2歳だものな。

udachika.hatenablog.com

 

いくつか資料を漁ってみましたが、根本的にはろう者の行動様式、いわゆるろう文化への理解がないと真にろう者に寄り添った通訳はできない・・ということらしいです。確かに手話とろう文化を聴者に叩き込むよりも初めからろう者に通訳してもらったほうが早いでしょうし、手話ニュースに代表される原稿を読み上げるタイプの通訳であれば初めからろう通訳が良いでしょう。実際手話ニュースはいつの間にかほぼろう者キャスターですものね。

 

しかしわざわざ聴者とろう者2名体制で通訳しなければならないほどなのか(交代を考えたら4名体制?)。それは手話が身につけるためのハードルが高いからなのか、聴者の手話学習者へのカリキュラムの問題なのかはわかりませんが、いずれにせよ音声言語では一般的ではないように思います。

もちろん他の音声言語と違って常に手話話者は少数者であり、通訳者は常に多数派の人間ですから、バイアスがかかることを考えるとろう者側の通訳がいるのは良いことでしょう。ろう者自身のエンパワメントにつながる部分もあるように思います。

ろう通訳を目指す若いろう者が増える・・そんな未来もあるのか?

聴者の通訳すらほとんどマトモに食えないことを考えると厳しい気がしますが、ASLや国際手話のスキルがセットになれば可能性あるかもしれません。

いずれにせよ通訳の選択肢が広がるのは良いことです。

 

+++

 

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結構な額になってきましたね

udachika.hatenablog.com



お笑いを字幕で観ると?

仕事上、10人〜20人のろう者を前にお話させていただくことがあります。講演スタイルで話すとき、言うまでもなくユーモアは重要です。少なくとも僕は初対面の人たちが多数という状況であれば意識的に笑いを取りに行きます。

僕は有名人でもなんでもないので、参加者からすれば「誰こいつ?」から始まるわけですから、ただ話すだけではなかなか話に集中してもらえません。

まずは簡単なアジェンダと自己紹介、ここで「あっコイツ(聴者にしては)手話うまいぞ?」と認識してもらう。「聴者」から「俺達の手話が使える仲間」という印象づけができれば、そこから笑いを取ることで「コイツの話は聞く価値がある」と思ってもらえます。

僕は基本的に真面目なテーマでお話させてもらうので、見ている人にすれば面白い話を聞かされるとは思っていない。だから笑いを取るのはそこまで難しいことではありません。聴衆は高齢者が多いですけど、まぁそれなりに笑いを取ることはできます。最初は全然でしたけどね。だんだん高齢ろう者の「ツボ」みたいなものがわかってくるのです。

最近はZOOMになってしまい、笑いを取るのが難しくなってしまいました。やり方もなくはないですが笑いを取りに行くリスクの割にリターンが少ないなと思う今日このごろ・・

 

さて、それに比べるとひとを笑わせることを生業にしている方は大変です。

観る人は全員「いまから面白い話が聞ける」という前提で観ているのですから。ハードルがむちゃくちゃ高い。一度結婚式で素人の漫才を見たことがありますが、聴衆の無反応がかなりキツかった。同じ結婚式でも司会のトークで笑いを取るのはそんなに難しいことじゃないんですけどね〜。

普段テレビにもたくさん芸人さんが出演しているようですし、M-1が職場で話題になったりすることを考えても、お笑いのコンテンツは強いのだなと思いますが、ろう者のお笑いって全然見ませんね。手話落語や狂言もお笑いの一部だと思いますが、いわゆる漫才師(古い?)というか、お笑い芸人。僕が見てないだけかもしれませんが、普段ろう者との話題に出ることもありません。

「ろう者 お笑い」で検索すると「デフW」がトップに来るのでYouTubeで見てみると・・うん・・そうか・・笑

彼らはろう者と聴者の文化の違いを笑いにするスタイルのようです。これって「面白い」よりも「勉強になる」という方向性というか、聴者というか手話学習者向けというか。ひょうきんな振る舞いで笑いを取りに行く感じなのでしょうか。まああまり言及するのはやめましょう。とはいえ他にめぼしい人たちもいないようですし、もっとろう者の笑いを研鑽して欲しいですね!(何様)

彼らに限らず、あるあるは確かに手話学習者にはウケるんですけどね〜。

 

***

 

日本語がわかるろう者からすれば、M-1を字幕で見たほうが面白いと思うのですが、実際無音&字幕で観てみたり、ろう者に感想をもらったりすると漫才も字幕向きとそうでないコンビがいることがわかります。ほとんどのコンテンツに字幕がついているNetflixでは歴代のM-1グランプリ決勝を観ることができるので僕も奥さんと2019年の決勝を観てみました。

上沼恵美子料理研究家だと思い込んでいたレベルなので、僕は出てくる芸人さんすべて初見です。

 

2019年決勝をひと通り観た結果、奥さんは圧倒的にミルクボーイ、とのことでした。次点がオズワルド。ほかは落選。

ミルクボーイのように一定の型があると「どっちのセリフ?」とか考えずに済むのでネタに集中できるとのこと。オズワルドは声色にあまり依存せず一定のペースで淡々と進めていくスタイルなので字幕でも雰囲気が伝わりやすいとのことでした。字幕以外の動きなどにも目を配りやすいというか。

でも和牛はほぼ笑ってなかったなぁ。内容は字幕向きだと思うんだけど、動きが多いとやっぱり字幕と同時に見るのは辛いかもしれません。僕がかまいたちが面白かったのですが、奥さんはどっちが喋ってるのかわからなくなる、とのことでした。かなりハイテンポですものね。もちろんニューヨークみたいな歌ネタも厳しい。

 

当然ですがM-1は聴者による聴者のためのお笑いなので、ただ字幕化すればろう者も笑えるというものではありません。観るろう側には行間を読むような高い日本語力が求められる上、ハイテンポで繰り広げられる会話を瞬時に字幕で理解する瞬発力も必要です。動きや声色、そして「間」だって重要なファクタなのですから、字幕を読みつつ画面全体にも目を配らなければなりません。おまけに聴者文化への高い理解度も求められる・・と激烈にハードルが高い。というか、ネタによってはふつーに無理。

 

お笑いに関しては聴者のネタを字幕で観る、ということも大事ですが、ろう者の笑いがもっと出て来てほしいです。とはいえお金にならないから真剣に研鑽するのも難しいですし、畢竟、デフユーモアのような聴者への皮肉めいた内容などがメインストリームにならざるをえないのかもしれません。

デフジョーク、デフユーモアといったものだとやはり聴者の私には100%伝わらない、というか当事者感を持って受け止めることができない。しかし聴者にウケないとマイナーなままになってしまう・・うーん・・これは・・少数者の悲哀ということか。

 

26 ヶ月目 評価損益 131.7 %
  元金 評価額 損益  
夫つみたて 866658 1141388 274730  
妻つみたて 866658 1141388 274730  
ジュニア 1733316 2282777 549461  
合計 3466632 4565553 1098921  

最近忘れてましたがNISAはこんな感じです。
この株高はなんなんでしょうね・・

 

 

手話歌の「善良さ」

とあるイベントで、こども手話歌の監修を依頼されました。

もちろん断りたかったのですが、お話を伺うといささか断りづらく・・というより、なんで断りたいのかを説明するのが大変です。

「手話=日本語に対応した手の動き」だと思っている人たちに「手や身体の動きに文法的要素が(中略)日本語に合わせて手を動かすだけではろう者には通じない」と言ったところで通じるでしょうか。そして彼らはろう者に伝えたくて手話歌をするわけではないのです。お話を伺う限り、子どもたちが成長したとき「あ、あの手話知ってる!」と思い出してくれれば、なにかのきっかけになればそれでいいのだと。善良な人々です。

この善良パワーに抗うのはなかなか厳しい。ろう教育の歴史を見ても、「聞こえなくても話せるように・・」と一生懸命善良な人々がせっせと口話法を子どもたちに叩き込み、善良な医者が我が子が聞こえないと知った両親に向かって「ご安心ください、人工内耳があれば・・」と語りかける。

もちろん口話法や人工内耳が悪い選択という意味ではありません。暗黙のうちに良い選択だとされているのが善良パワーのなせる業であり、そこに疑問を差し挟む余地がないように見えるのが問題なのです。

 

手話歌ってどうしても耳障りがいいから多用されるんですよね。ろう者とか関係なく、ただ手話で振り付けしたいから手話歌を使う。そしてイベントのMCに手話通訳はついていない。いや、いいんですよ。だめじゃない。要するに手話はデコレーションでしかないのだから。実際にろう者が見に来ることも想定していない。

もちろん好きな人は好きにすればいいと思うんだけど、これでいいのだろうかとも思う。

以前に手話歌のことについて書いたときは、

 

”手話歌の表現ではろう者には通じないとかそういう論争は根深そうなのでここでは触れませんが、そもそも手話歌はろう者のためだけにやっているわけではないですよね? もちろんろう者に伝わらない内容なのに「手話」の名を関するとは何事かという意見もわかりますけどね。”

 

とは言っていましたが、自分が当事者になるとなかなか複雑な気持ちになります。

結局断る理由が思いつかず冒頭の依頼を受けることにしたので、一応ろう者にも伝わるような翻訳を行い、自分でビデオを撮って先方にお送りしました。

これで良かったのだろうか? 送ったビデオにはもちろん文法要素が含まれていますし、ビデオをお送りした際に簡単な解説も添付しています。しかし初めて手話に触れるような人が細かい動きまで真似できるわけがない。実際は歌いながらになるわけですし、おそらくただ手の動きをトレースするだけになるでしょう。

 

手話歌を黙認している自分は、手話やろう文化がゆるやかに死んでいくことに加担しているのだろうか? そんなラディカルな考えも頭をよぎります。

「ろう者たちのキャンパスライフ」は・・

Netflixが作った連続ドラマです。とっても面白くなかったです!
というか見ていてつれぇわ・・という内容だったので第二話以降は見られませんでした。
内容はあってないようなもので、

 

キャンパスライフ! たのしー! っていうウェイ系の男女が出てきて惚れたはれたのあーでもないこーでもないって話してるだけ。いや、これわざわざろう者でやる意味ある? というか、こんな話は居酒屋で隣の大学生グループがでかい声で喋ってるから聞こえてきちゃった! 的な内容で本人は切実なんだろうけど他人からすればまったく非ドラマティックな内容なんだよね。これはドラマ? ドキュメンタリ? リアリティショーの側面があるのかしら。こんなんだったらギャロ大の学食はこんなんだ、値段はいくらだとかのほうが面白いよ。あとは聴者家族との確執とかさー

 

・・というのは私個人の意見であって、むしろこんなつまらない内容をわざわざろう者を題材に作ったってことに驚きました。

だって基本的にテレビ番組とかニュースってそういうものですよね。誰かの好いた惚れたをおいかけたり、どこのお店のデザートがバエるとか(無理して使ってる)、どこかの株価がストップ高とか、わりとしょうもない情報を得ながら我々は暮らしているわけです。でもそれは言ってみれば聴者社会の出来事だから許されているのであって、ろう者社会、障害者を題材にしたしょうもない情報ってほとんど目にしませんよね。

今までろう者のドキュメンタリって「意味のある」内容がほとんどだったはず。まぁドラマもそうですよね。障害を乗り越えて! 友情! 努力! 勝利! というもの。

そこへただ消費されるだけのものを作ることができた、Netflixに金が余っていただけなのかはわかりませんが、これはすごい。日本じゃこんな企画通らない気がする。逆24時間テレビですよ。せっかく「障害者」というおいしい設定があるのにそれをまったく生かさない。考えられないですよね。

 

でも、だからこそ、日本において「障害者」や「ろう者」は漂白されたイメージが常につきまとっている。なんとなく障害者に悪い人はいないようなイメージが社会全体にある。自分たちとは違う、「障害を乗り越えて暮らしている素晴らしい人達」みたいなね。彼らも窃盗やら脱税やらをしますし不倫もDVもかまします。もちろんまともに生きている人たちが多数ですがね。要するに一般人と大して変わりゃあしません。

そういう意味ではこのドラマは何も面白くないのが良いなと思いました。

 

つまらなかったので基本的には続きは観ません。しかしやはりアメリカのほうがろう者・・障害者に対する目線は成熟しているなと思います。

 

これで第二話から全然違うサイコ・サスペンスホラーとかだったらどうしよう。