ろう者だって踊りたい

自分はアラフォーのおっさんですが、20代のろう者に会うとダンス経験者が多くて驚きます。

 

僕らの世代でダンスって、DA PUMP? どきゅーんばきゅーんという感じでして、ダンスやってるぜなんつー奴はちょっとアウトローというか、悪そうなやつはだいたい友達というか、そういうイメージだったのですが最近はダンス、市民権得てますよねぇ。

もちろんダンスと言っても社交ダンスのようなクラシカルなものではなく、いわゆるヒップホップ系というか、ブレイクダンス? えぐざいる? みたいな?(知らないならやめとけ)

 

とにかく男女問わずダンス好きが多いんですよ。

おっさんおばさんろう者に訊くと「おら全然わかんね」という感じなので世代の断絶を感じます。もしかしたら聴者もそうなのかな。私は若いろう者に会う機会はあっても、若い聴者に会う機会がほとんどないのでわかりません・・が、つい先日、そんな私がダンスのイベントをチラ見する機会がありました。さらにさらにそのイベントには「ILL-ABILITIES(https://www.illabilities.com)」という障害者ダンスグループも参加していたのです。メンバーのひとりは難聴とのこと。

彼らをMCが紹介しているときに、

 

『この業界(ヒップホップ界隈のこと)ではネガティブな言葉をポジティブな意味で使うことが多い、だから「ILL」という一見ネガティブな言葉を敢えて使っているのだ』

 

というセリフがありました。

これは面白い考え方です。実際彼らのホームページを見てみると、

 

The “ill” in ILL-ABILITIES™ does not refer to “sick” or “unwell” but rather to incredible, amazing, intricate, talent.

 

 

適当に訳すと、

 

ILL-ABILITIESの「ILL」は「病人」や「具合が悪い」よりむしろ「驚くべき」、「素晴らしい」、「複雑な」、「才能のある」という意味だ

 

とあります。

こういったヒップホップの文化が障害者、ひいてはろう者との親和性が高かったであろうことは言うまでもありません。そもそもヒップホップ自体言うまでもなくアメリカにおける黒人やヒスパニック・・つまりマイノリティから生まれた文化なのですから、対マジョリティという意味ではろう文化とも似通った成り立ちとも言えるのではないでしょうか。

あるいはろうの若者たちにダンスが違和感なく受け入れられているのはヒップホップ文化にこのような側面があるからかもしれませんね。

またもろう者と難聴者問題

最近受けた相談で、ろう協会の役員同士の関係がギスギスしている、というものがありました。聞いてみると役員のなかにろう者と難聴者がいてそこのコミュニケーションが上手くいっていない。はーそうなんですねと深刻な表情で相槌をうっておきましたが、ぶっちゃけ難聴者とろう者の確執はよくある話です。

根深い問題の割に一般聴者から見るとわかりにくいのでしばらくは解決しないような気もしますが、まぁ今の若い人たちがおっさんおばさんになったら解決する気もします。そもそも聴覚に障害を持つ人たちが明確な目的がない限り一緒に活動しなくなりますから。

それに若い人たちはろう者サイドと難聴者サイド・・どちらに属していようと、今の高齢者たちほど思考や思想の断絶も感じませんしね。

 

***

 

相談者が語るには、具体的には会議の進め方や議事録のとり方で衝突があるとのことでした。

ひとつずつの議案に対して意見をとって、全員で承認をして次の議案に進んでいく・・というまぁいわゆる「会議」の進め方を好む難聴側。効率が悪いし文章が多くて意味がわかりにくいと反発するろう者側。相談された方は議事録や質疑の際にも体裁を整えた文章を用いるべきと言われて大変だ、とも言っていました。そう、僕に話を持ってきたのはろう者側。

それゆえ難聴側の役員がどのようなスタンスなのかはちょっとわからないのですが、想像するにそちらも微妙に居心地の悪さを感じているのだと思います。

 

難聴者側もどうしたらいいのかわからないと思っているはずです。

なぜ「普通」のやり方で反発されるのか。

 

彼らは聴覚障害という「ビハインド」を背負ってここまでやってきた自負がある。そりゃーそう簡単に「ろう者」・・ある意味では聴者社会での努力を怠った(ように見える)人々のやり方に合わせるわけにはいきません。「ビハインド」じゃなくて「聞こえないことは個性」というスタンスの人々。なんで聴者社会に合わせた努力をしないのだ、と。

僕は常々思うのですけれど、難聴としてやっていくのは大変なのです。聴者社会で戦っていくには多大な努力が必要です。どこまで行っても「不完全な聴者」というレッテルを貼られたままなのにも関わらず。

 

あくまで私見ですが、いわゆるろう学校を出ていない難聴者のほうがろう者に比べると平均年収、社会的地位、というものは高いと思うのです。当然と言えばそうかもしれません。この社会の多数派である聴者に合わせて生活してきたのだから。マインドもほぼ聴者です。

でもそれぞれの幸福度、というところを見るとどうもろう者のほうがしあわせな暮らしができているんじゃないかなあと思うのです。もちろん僕の観測範囲は偏っているのでどこまで一般性があるかはわかりませんし、絶対に忘れてはならないのは、そもそも社会と関わりを持たない、持ちたくとも持てない難聴の方もきっといらっしゃるのだろうということです。

ただ、ろう者のコミュニティってそういう人を掬い上げている部分もあるのかなと勝手に思っています。経済的に苦しかったり、仕事などで社会的に認められることもないけれど、デフ・コミュニティにいれば結構楽しくやっていける、みたいなね。年金を切り詰めて(って言っても彼らは結構もらってますけど)、移動は無料の都営バス使って、ファミレスやカフェなんかで長い時間おしゃべりをする。それで結構満たされている人もいるように思います。果たして難聴者はそういった寄る辺があるのでしょうか。

障害年金はずっと貰えるの?

65歳までに夫婦で2000万円必要だ、という文書が流れてみなさん盛り上がっておりますが、いかがお過ごしでしょうか。いやもうその話もそろそろ風化してきましたかね。もともとの話も年金だけだと月に5万足りなくなるから1年で60万必要、95歳まで生きる場合はそれが30年・・ということで60万×30年で1800万というわりと雑な計算です。

 

この文書の正確性とか、どれくらい実態に即しているかとかはとりあえずおいといて、ろう者のみなさんはご安心ください。障害基礎年金と福祉手当で年間115万円もらえるので、65歳までに45年間×115万で5175万円もノーリスクでもらえます。ここから2000万を捻出するのは楽勝ですね! いやいや、俺もう使っちゃったよ、貯金ないよとアラフォーのあなたも大丈夫。40歳から25年間でもこれから貯金すれば2875万円はたまります。

 

そもそも2000万必要だっていう話ですけど、1000万あれば3%の配当もらえば月3万くらい入りますから充分逃げ切れますよ。3%だったらトヨタなりJTなりNTTなりでいくつか分散して適当に買っていればいけるんじゃないかと思いますが・・。

まあとりあえず今55歳くらいの人までは何も考えなくて大丈夫だと思います。

さらにさらに、前にも書きましたが若いうちから年金を使わず運用に回していけば・・

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これでキミも富裕層だ!

こうなります。

いや、パンチのある金額ですよね。これひとり分ですよ?

ろう夫婦だったらもう・・

 

***

 

と、夢はどこまでも広がりますが、この少子高齢化のなかで果たして年金はこれからももらい続けることは可能なのでしょうか。ほとんどのろう者が受給している障害年金は障害基礎年金ですが、その財源はきちんと確保されているのか?

国民年金全体に関しては給付開始が60歳から65歳へと延びさらに70歳から・・となる可能性はありますし、給付される金額が減らされる可能性もあると思われます。事実、年額にしたら数百円の違いですが、障害基礎年金も昨年度より削減されているのです。

障害年金受給者も2%ほど毎年増えているということは、いずれはこの制度にもメスが入ることは考えられると思います。

 

平成30年度における障害基礎年金の受給者の世帯収入中央値は171万円とのことでした。

これはろう者の感覚からすればかなり低い値のハズです。

そして厚生労働省の統計を見ればわかるのですが、

「障害等級別でどれくらい収入があるか」という統計はあっても、
「障害別でどれくらい収入があるか」という統計はありません。

というか、ちょっと調べたくらいでは見つかりませんでした。どこかにあるのかなぁ。今後も探してはみますけど。

 

生まれつき聞こえず、ろう学校に通っているろう者の場合、多くは障害等級で言えば1級か2級です。3級も少しはいるかな。僕の周り(手話をメインのコミュニケーション手段としている人)だと4級以下はほぼ見たことないですね。

 

ちなみに他の障害における2級の要件(?)はいろいろありますが、たとえば肢体不自由というカテゴリであれば、

体幹の機能に歩くことができない程度の障害を有するもの

と、なかなか就労という意味ではハードルが高いものもあります。また、重度の知的ないしは精神障害をお持ちの方も就労においてはかなり厳しい状況だと思われます。

あくまで比較的、ですがろう者は就労しやすい障害だと思います。結果として収入も高めになる。しかし統計的にはあくまで等級でしか判断されないので、障害の重さに比例して収入が落ちていくという、まぁ想定内の結果が得られるだけです。

なぜ障害別にしないのかは理解に苦しみますが、この部分にスポットライトがあたったとしたら、聴覚障害者に対する年金支給要件は修正があってもまったく驚きはないですね。

または障害の種別関係なく、収入に対してより細かく支給額が決定されるとか。僕ならこっちにするな。障害種別ごとに基準変えるの大変だもん。

所得300万以下は現行のまま、400万以下で80%、500万以下で60%といった具合に。値は適当ですよ。念のため。

 

さあみんな、今のうちに運用だ!(目ぐるぐる)

夢の海外暮らし?

先日、今年の夏から1年くらいかけて海外を放浪したいんだ‥というろう者の若者に会いました。

放浪。素敵な響きです。

彼に限らず、仕事を辞めて1年なり2年なりフラフラしたいと思う人は多いのではないでしょうか。僕も独身だったら考え・・たかな??

障害者年金の支給はおよそ100万円ですから、物価が安い国なら生活できそうです。以前のエントリでも紹介したように、障害者は失業保険もたくさんもらえますしね。

 

さて、ブラック企業で月収20万、ボーナスなし。激務に耐えかね勢いで退職したろうの若い男性(女性でもいいです)がいたとしましょう。しばらく仕事はしたくない、俺は1年間、自分探しの旅に出るんだー・・

大変結構。以前のエントリにも記しましたが、ろう者、というか障害者であれば失業手当は100万円ほどもらえます。それに加えて福祉手当がだいたい20万/年、そして障害者年金が100万円/年。貯金がゼロだったとしても1年間で合計220万の収入があるわけです。

 

月収にして18万、1日あたり6000円。これならやり方次第では貯金なくてもしばらくフラフラできるでしょうね! 東南アジアメインとかにすれば余裕でしょう。もちろん豪遊はできませんが。

僕は台北にごく短期間滞在したことがあるのですが、中心地でなければあまりお金を使うことなく暮らせそうでした。とにかく外食が安くて美味しかったので、あれだと自炊する気が起きないのでは・・。

気になったのでウェブでちょこちょこ調べてみると台北近辺でも堅実に暮せばひと月10万前後で生活できるようです。マジか。暖かいし女の子は可愛いし物価は安いし親日だし・・やっぱり独身なら長期ステイを考えたかも笑

 

ん? よく考えたら月収で18万ちょいの手取りですから海外どころか実家暮らしであれば日本をフラフラしても間に合うかもしれませんね。男はつらいよ的な生活というか(古いな)。

フーテンの寅さんが劇中で「おお、労働者諸君!」と呼びかけるシーンがあるらしいのですが、らしいというのは実際に僕がそのシーンを見たわけではなく、幼い頃に父がよく引用していたからなのですが‥どんな父だよ。

ろう者が「労働者諸君! 今日も一日ご苦労さまでした」なんて言った日には昨今の状況を鑑みると冗談になっていないですねこれ。

 

とはいえいざ人生の歯車が上手く回らなくなってしまったときに頼れるセーフティネットがしっかりあるというのは良いことです。

ろう者を始め障害者の方々は少数派故に逆境に陥ったときのリカバリが一般人より難しい部分が多いはず。そのリスクをある程度金銭面で軽減されているのですから。

令和にまつわるエトセトラ

元号の発表後、ちょこちょこニュースでも手話が取り上げられていました。

「令和」の発表で手話通訳が「めいわ」と訳した上にワイプが重なるという悲劇が起きたのと、「令和」の手話が発表されたからです。

 

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手話通訳について。

要は打ち合わせ不足。残念ですがホスト側はその程度の温度だったのでしょう。まぁ手話通訳おいとけばいいや、と。いかんせん注目度の高いトピックだったせいで通訳が悪目立ちしてしまいましたが、依頼側が非協力的であれば当然あれくらいのミスは起こります。

本来通訳のタスクは聞こえた情報を選別して伝えるだけ(その選別が一番難しいんだけど)ですから、聞き取りにくかったときは「聞き取りにくくてわからなかった」と言うのだってOKなハズです。今回のシーンでは無理ですが・・。

 

若干脱線しますけど、だいたい我々だって普段耳に入ってくる言葉をそこまで一生懸命聴きませんよね。

僕だって皆さんだって、例え上司が話していたとしても、重要なポイントは聴きますけど流し聞きする部分もあるじゃないですか。もちろん話者側だって適当に話したり力を入れたりとメリハリつけているのですからお互い様です。

通訳の場にもよりますが、手話通訳は常に話す内容に100%コミットするんだ! という気合の入ったスタンスの方をチラホラ見ます。まぁもちろんひとつの正しい方法だと思いますがそういう方が通訳パートナーになったりするとある程度合わせなきゃならないのでプレッシャーがきついんですよね・・僕が適当すぎるだけですね。すみません。

 

話を戻します。

仮になんの情報もない状態で「やべぇよく聞こえなかった、めいわ・・か・・?」って思ったら指文字出さずに笑顔で元号を指すのもアリですよね。つか僕だったらそうします。常に自分の耳に自信がないので。そして元号はワイプで隠れて阿鼻叫喚、と(ダメじゃん)。

ともあれ打ち合わせなしはダメ、ゼッタイ。



「令和」の手話について。

「平成」の手話はおそらくシンプルに漢字からとったもので、誰かが作ったのかはわかりませんが、自然発生的に使われるようになったとしても信じられる表現でした。今回は明らかに「作りました!」というか「作ってやりました(ドヤァ」という感じなのでどうだろうなぁ〜広まるかなぁ〜でも元号なんていう普段使わない言葉をわざわざ「こっちの手話のほうが令和っぽくね?」となるかは疑問です。なんだかんだで定着するのかも。

 

ただ発音しづらい手話なので、動きは多少変わるのかもしれません。

そもそも手のひらを上に向けてまっすぐ前方に動かす、という動きが手話にはない気がするんですよね。まぁこの辺は専門じゃないので思いつきですが。

「新しい」とか「差し上げる」みたいな手話は上下の動きがあるしなぁ・・「地震」や「新潟」は前後の動きがあるし。あ、「スキー」はあてはまるか。でも「スキー」は手のかたちが変化しないからなぁ。

手話を決めている人たちは意味を重視して決めている印象がありますが、発音のしやすさってどれくらい考慮しているのでしょうね。

コーダは親専属の通訳なのか?

先日、ろう者の相談に乗っていたときのことです。

50歳くらいのご婦人。高校生の息子さん(聴者)と一緒にいらっしゃって、家電量販店で購入した製品を返品したいという内容。

まぁそれだけならよくある話なんですが、買ったときにもらった書類やらなんやらを見せてもらうと、購入同意書にサインは書いてある。ということは納得づくで購入したのではと聞いてみると、よくわからなかったけどサインした、そもそも息子の通訳がよくわからなかった・・とのことでした。

 

息子さんも同席していたのによく言うわと思ったらそれにとどまらず、

「姉のほうが手話が断然上手だから、姉を連れていけばよかったわ」

ときた。おいおいモラハラですよそれ。

こうなると心情的には俄然息子さんの味方になります。

 

母親は息子が自分の通訳をすることは当然だと思っているようですが、息子さんは普段は手話を使っておらず、親子のコミュニケーションも頻繁には行われていない様子。これでは通訳は難しいでしょう。

その状態の子どもに責任を転嫁してしまうのは危険すぎます。子どもに助けてもらうのが当然というスタンスのままだといずれは「僕が助けてあげないと何もできない人」のレッテルを貼られてしまいますから。

このままだと息子さんは精神的にも経済的にも独立したとき典型的な「悪気はないけどナチュラルに親を見下すコーダ」になるでしょうね。

自分が主体的に得るべき情報を子どもに依存しているのですから。

 

この母親は息子が手話ができないとわかっているのなら購入時に筆談で店員とやりとりすべきでした。まぁしかしそれができる人は息子を通訳にさせんわなというジレンマ。

とはいえ筆談は日本語の能力も関わってきますから、一概にお母さんが悪いとも言えない。でも日本語が苦手ならなおさら通訳を準備するべきだったよなぁ。いやこのお母さんの日本語能力知りませんけど。

 

やっぱり成長の過程で自己肯定感、というかろう者のアイデンティティ、っていうか要するに「ろう者でいいんだよ」っていう教育が必要だったんだと思うんです。

結局長い間ろう教育は(今も?)「頑張って聴者を目指そう」だったわけですから。

そうなると残るのは聴者への劣等感→子どもは聴者なんだからなんとかしてくれ→子ども困惑のパティーンですよ。いやーきつい。

だから彼女にとって自分の子どもは被保護者である前に聴者なんですよね。だから「なんとかしろよ」になってしまう。逆ならいいんですけど・・非常に残念なことに団塊の世代前後のろう夫婦においては少数派な気がします。

 

あ、結局僕の回答は「返品はキツいと思いますけど、とりあえず通訳呼んで購入店舗に相談しに行くのがベストですね」です。

その後彼女たちがどうしたのかは不明ですが。

 

蛇足。

 

このお母さんのセリフで思い出しましたが、コーダの兄弟だと長子が手話が上手で第二子以降は微妙というのもよく聞く話です。また、女子のほうが手話を習得しやすい傾向にあります。

これは性差による言語能力うんぬんではなく単純にコミュニケーションの志向性だと思いますが。

手話通訳と音声認識

Googleが新しい音声認識アプリをリリースしました。

現状はベータ版(試作品)とはいえ、現状でもなかなか使えるアプリです。UDトークなどの先発アプリが持つアドバンテージがどこまで有効なのかはわかりませんが、競争が生まれれば品質は向上します。楽しみですね。

 

とはいえ手話通訳業界に多少なりとも身を置く人間からすると、楽しみである反面、とうとう手話通訳は「普通」の仕事として成り立たないまま技術の進歩に追いつかれてしまったのかとも思います。前にも書きましたが、そう遠くないうちに現在の手話通訳者の8割は音声認識に取って代わられるでしょう。

そんなバカな、と考える人もいるかもしれません。もちろんろう者にとって手話は大事な母語ですし、手話でなければ伝わらない人もいる。音声認識の日本語字幕では限界がある、とおっしゃることについてはその通り、異論ございません。それに母語で通訳を受ける権利というのはただの情報保障という意味にとどまらず、ろう者自身のアイデンティティともかかわる問題ですからね。手話通訳の存在は大事です。

ただ、僕が危惧しているのは母語が手話のろう者にとっても、日本語のほうが質の良い情報が得られるかもしれないということ。ようするに音声認識のほうがはるかにたくさんの情報を伝えられれば、第二言語のハンデを加味してもろう者にとっては有用であるのではないかということです。

現在だって話者にマイクをつけてもらって音声認識をして、別に誤字誤変換を適切な文章に直してくれる人間がいたとしたら、それより質の高い情報を手話で出せる通訳が果たしてどれくらいいるのでしょうか。考えれば考えるほど、例えば地域レベルでの通訳現場においては分が悪そうです。もう少ししたら音声認識を併用した手話通訳がトレンドになるかもしれません。

 

さらに言うならどうしても手話でなければならないという人々…手話以外の言語、要するに日本語を身につけていない人のほとんどは高齢者です。当然ですが10年後にはかなり手話通訳のニーズが下がるはず。20年後にはもっとです。手話通訳士は合格者の平均年齢が上がりつつあるので、20年後には老老介護ならぬ老老通訳になっている可能性が高いですね。笑えない。しかし、音声認識の技術はその間も向上し続けます。若いろう者は基本的には日本語を(能力の差はありますが)身につけているので、世の中の通訳がすべて音声認識に切り替わってもそこまで不都合はないように思います。

 

手話通訳はもはや質を高めていくしか方法はないのかなあ。高い専門性を持ったひと握りの通訳が活躍し、それ以外は音声認識でまかなわれる。。

その場合、僕はひと握りのところに入れそうにないので、なんとかして適当なところに潜り込むしかないですね笑