文化的価値としての手話
先日、というか結構前ですけどNHKの「手話で楽しむみんなのテレビ〜怪談・奇談編」
https://www.nhk.or.jp/heart-net/movie/271/
という番組が放映されていたので観たのですが、面白いな〜と思う反面、いろいろ思うところもありました。
一番大きいのは、この物語をろう者が観てどれくらい理解できるのかという疑問。
ストーリー自体かなりハイコンテクストなのでなんというか、手話&ろう文化と親和性があまり高くない物語だったように思います。原作の登場人物が聴者なので当たり前っちゃ当たり前なんですけど、登場人物の振る舞いがいかにも聴者的でね・・もちろん製作者はそんなことはわかった上でチャレンジしているのでしょうけれど。
とはいえその違和感も楽しみ、ろう者独自の世界にも触れながら語られていくストーリーは、一種の伝統芸能のような趣がありました。
そう、「伝統芸能」です。
このような形で手話を残すという方法もあるのだなと思いました。
つまり、普段使われる手話ではなく、物語で使われるような手話を残すということ。文化としての手話。
手話でメシを食っている私にとってもそうですし、何より誰よりろう者自身にとっては受け入れがたいことかもしれませんが、順当に行けば手話話者は減っていく一方でしょう。科学の発達(?)を考えると四半世紀・・いやさすがに早いか・・? とにかく次の世紀を待たずに「ろう者」
は消えてしまうかもしれません。
そうなる前に文化としての手話を残し、伝えていくことは意義があるように思えます。国語の授業でも古文や漢文を学びますものね。手話にとってのそれはドラマや舞台、狂言なのかもしれません。
文化を残すことは大事なこと、と思いつつも一抹の寂しさもあります。
アイヌ語、アイヌ文化と似たような変遷を手話も辿っていくのかもしれない・・と。
とはいえ所詮は聴者の、しかもおっさんの言うことです。
あのドラマを観た若いろう者に、こんな話し方や表現があるのだなとビビッドに伝わっていればそれでいいのですけれど。