コーダは親専属の通訳なのか?
先日、ろう者の相談に乗っていたときのことです。
50歳くらいのご婦人。高校生の息子さん(聴者)と一緒にいらっしゃって、家電量販店で購入した製品を返品したいという内容。
まぁそれだけならよくある話なんですが、買ったときにもらった書類やらなんやらを見せてもらうと、購入同意書にサインは書いてある。ということは納得づくで購入したのではと聞いてみると、よくわからなかったけどサインした、そもそも息子の通訳がよくわからなかった・・とのことでした。
息子さんも同席していたのによく言うわと思ったらそれにとどまらず、
「姉のほうが手話が断然上手だから、姉を連れていけばよかったわ」
ときた。おいおいモラハラですよそれ。
こうなると心情的には俄然息子さんの味方になります。
母親は息子が自分の通訳をすることは当然だと思っているようですが、息子さんは普段は手話を使っておらず、親子のコミュニケーションも頻繁には行われていない様子。これでは通訳は難しいでしょう。
その状態の子どもに責任を転嫁してしまうのは危険すぎます。子どもに助けてもらうのが当然というスタンスのままだといずれは「僕が助けてあげないと何もできない人」のレッテルを貼られてしまいますから。
このままだと息子さんは精神的にも経済的にも独立したとき典型的な「悪気はないけどナチュラルに親を見下すコーダ」になるでしょうね。
自分が主体的に得るべき情報を子どもに依存しているのですから。
この母親は息子が手話ができないとわかっているのなら購入時に筆談で店員とやりとりすべきでした。まぁしかしそれができる人は息子を通訳にさせんわなというジレンマ。
とはいえ筆談は日本語の能力も関わってきますから、一概にお母さんが悪いとも言えない。でも日本語が苦手ならなおさら通訳を準備するべきだったよなぁ。いやこのお母さんの日本語能力知りませんけど。
やっぱり成長の過程で自己肯定感、というかろう者のアイデンティティ、っていうか要するに「ろう者でいいんだよ」っていう教育が必要だったんだと思うんです。
結局長い間ろう教育は(今も?)「頑張って聴者を目指そう」だったわけですから。
そうなると残るのは聴者への劣等感→子どもは聴者なんだからなんとかしてくれ→子ども困惑のパティーンですよ。いやーきつい。
だから彼女にとって自分の子どもは被保護者である前に聴者なんですよね。だから「なんとかしろよ」になってしまう。逆ならいいんですけど・・非常に残念なことに団塊の世代前後のろう夫婦においては少数派な気がします。
あ、結局僕の回答は「返品はキツいと思いますけど、とりあえず通訳呼んで購入店舗に相談しに行くのがベストですね」です。
その後彼女たちがどうしたのかは不明ですが。
蛇足。
このお母さんのセリフで思い出しましたが、コーダの兄弟だと長子が手話が上手で第二子以降は微妙というのもよく聞く話です。また、女子のほうが手話を習得しやすい傾向にあります。
これは性差による言語能力うんぬんではなく単純にコミュニケーションの志向性だと思いますが。