ずっと前に見たことがあるから

今の30代・・だいたい1980年以降に生まれ、ある程度きちんと教育を受けた人たちは障害者に対してあからさまに差別をするということは少なさそうです。ネット上ならともかく。

まぁそれが常識というか、そういうことを言っちゃうとやべーやつと思われますから。これは障害者に関するトピックだけじゃなくてジェンダーとか人種の話とかでも同じこと。

国会議員のおじーさんおばーさんたちは自分の感覚そのままで喋ってしまい、現代のコンセンサスから外れた発言をしてしまうということがままあるようです。彼らは老人なのだから仕方ない、と言いたいわけではないですが、優秀な方だからといって必ずしも時流を理解できるわけではないということ。いや皮肉じゃなくて。

 

ろう者に対する視線もずいぶん変化していると思います。外でビデオチャットをしてもそれほど奇異の目で見られることはないですし、耳が聞こえない=コミュニケーション取れないと思う人も少なく、スマホを使って筆談しようとする人も結構います。テレビドラマでろう者が取り上げられることも珍しくないです。

たくさんありましたね。愛していると言ってくれ星の金貨君の手がささやいている、あとオレンジデイズなどなど。僕はどれも観ていないのですが、知り合いは「トヨエツかっこいい」とか言ってました。

あんないい感じに枯れたろう者見たことないけど・・笑

 

そういえば最近、奥さんと一緒に観ていた「コウノドリ」というドラマでろう者の女性が出てきました。主人公の産科医から通訳をつけるか否かを問われたとき、「大切なことだから先生と直接話したい」とホワイトボードに書いていたのでガックリきちゃいましたよ。

「プライベートなことだから」ならまだわかるのですが、「大切なことだから」って。大切なことに手話通訳を使わなければ一体何に使うのでしょう。

それともそれくらい現状の手話通訳制度はイマイチなんだよっていう皮肉あるいは問題提起ですかね?笑

 

話がズレてしまいましたが、テレビドラマが与えるイメージ、影響は大きかったのではないでしょうか。ただ、当然ですが一番影響を与えるのは教育だと思うのです。

文科省の教育指導要領の変遷を調べてみると、

 

1998年 障害のある児童とのふれあいについての記述

2008年 総合学習の時間に、学習活動として「福祉」を取り上げる

2017年 共生社会に向けてインクルーシブ教育を目指す

 

という感じのことが書いてあります。めちゃざっくりですが。

徐々に障害の有無にかかわらず共に交流し、学ぶという方向に向かっているのでしょう。

その流れのなかで総合学習の時間に手話を取り上げたり、ろう学校と地域の学校とで交流を行っていたようです(奥さんにとってはそれほど良い思い出ではないようでしたが笑)。

 

障害者福祉に関する国の方針すべてが正しいとは思っていませんし、そもそも僕は大して法令やら何やらの知識もありませんが、教育面においては間違いなく良い影響を与えていると思います。

僕は大学に入るまで手話という概念すらロクに知らないまま生きてきましたが、もっと若い世代は義務教育の段階で手話やろう者を知り、触れる機会があったのです。

ろう者を取り巻く環境は良くなっています。良くなったが故の問題も起きてはいますが、昔はそれ以前の問題でした。少しずつ前進しているのは間違いないし、文科省の行った方針は少なくとも誤りではなかった。

 

「むかーし学校で手話教えてもらったんです! もう忘れちゃいましたけどねー」

 

そう言ってごく自然にろう者とのコミュニケーションを楽しめる若い人たちを見る度にそう思います。

その割に手話通訳士は高齢化の一途を辿っているんですけどね・・