コーダの親子関係

コーダ、とひと言でくくるには家庭環境が千差万別すぎて「コーダだから〜」とか「コーダの場合は〜」とか安易に言えないような気がします。

が、あくまで一般的には「ろう者(手話を使う)の両親の元に生まれた子ども」の意味ですね。手話を使わない難聴者の子どもがコーダを自称することはほとんどないようです。

 

というわけで今回はコーダについての話。

どこで見たか、たしかコーダの会というウェブサイトで見た覚えがあるのですが、両親ではなく片親だけろう者でもコーダと呼ぶらしいです。まぁ片親ろうはかなりサンプルが少なくて難しいですよね。僕も片手で数える程しか会ったことないです。あ、さすがに両手はいくか?

 

だいぶ前にコーダの親子関係の難しさについて言及したことがあるのですが、まず難しさのひとつに前述の通りコーダ自身の育ちかたが家庭環境によって大きく異なるということがあると思います。

 

ひとつめ

親がどれくらい手話を使うか

 

ふたつめ

親がどれくらい日本語を解するか

 

みっつめ

コーダ自身がどれくらい手話が使えるか

 

これらの要件があって、その環境に応じて難しさが変わってきます。もちろんその上で一般的な家庭環境の相違..つまり住宅環境、世帯年収や実家との距離、仕事量の多寡なども関わってくるのです。

僕の観測した限りでは、良好な親子関係を築く際の必要条件として、コーダ自身が手話ができる必要があります。さらに、親が手話か日本語のどちらかに秀でていれば問題が起きる可能性は下がるようです。自分で書いていてわかりにくいと思うのですが、これすべてろう者の両親の元に生まれたコーダの話です。手話より日本語をメインで使う家庭の話ではありません。

 

この必要条件ですが、簡単ではありません。未成年のコーダたちのことはわかりませんが、現在30代以上で手話がきちんと使えるコーダは決して多数派ではないからです。というか、僕が知る限りかなり少数派です。

きちんと、の解釈はいろいろあると思いますが、手話通訳ができるとかそういうベクトルとは別です。なんなら中途半端、と言っては失礼ですがそれなりに手話ができるとむしろ危険だったりします。親の手話で語る力を聴者の「手話ができる」基準で判断しがちだからです。

 

本来大事なのはどの言語を使うかではなくて、親子の関係性を正しく保てるのであれば手話であろうと日本語であろうと問題はないはずです。ただの言葉、コミュニケーションの道具なのですから。コミュニケーション手段の違いが親子関係に影響を及ぼす割合は軽微だと僕は思うんです。家庭内の言語が日本語だろうとオランダ語だろうとスペイン語だろうと、ね。

 

「ろう者」である以上彼らにとっての第一言語は手話であるはず。そうであれば自分たちの子どもとの会話に使われる言語は当然手話であるべきです。

ただ、団塊世代以上のろう者は自己肯定感が低い傾向にあるんですよね。

それはとどのつまり「手話を使うな、聴者を目指せ」という教育に原因があると僕は考えています。聴者に劣っている存在であると無意識的にすりこまれることで、とにかく聴者は正しく、ろう者は正しくないという価値観が形成されてしまう。自分の子どもに対して手話で話しかけていいのだろうか。音声で、日本語で育てるべきではないだろうか…という葛藤が生まれます。そしてそれはコミュニケーション不全を生み、子どもが思春期を迎えるとそれは決定的になってしまいます。

本来であれば子どもを守り、導くはずの親が、子どもが聴者であるゆえにその役割を担えなくなってしまうのです。子どもが十分に考える力をつけると、もはや親子の力関係は逆転してしまいます。その上親自身も力関係が逆転してしまっている状態を受け入れている。これでは正しい親子関係は構築しえませんよね。

だって子どもが親を(意識的にせよ無意識的にせよ)見下しているのですから。

 

僕と同世代以上のコーダの場合、普通の親子関係よりも難しくなりがちなのはそこに原因があります。

ただ、親が自己肯定する力、つまりろう者としてのアイデンティティをしっかり保持しており、きちんと子どもと手話でコミュニケーションがとれていれば親子関係において問題は起きにくいのではないか、少なくとも聴者の親子関係と差はないはずです。

 

コーダがろう者の言葉や文化を身につけられたとしても、本人が所属するのは基本的には聴者社会です。

多数派に居続けながら少数派への理解を示すって大変だと思います。これは本当に簡単なことではない。むしろ外側の人間のほうが客観視しやすいかもしれませんね。

 

余談。

コーダからは周りから余計なことを吹き込まれた、というエピソードをよく聞きます。「お母さんは耳が聞こえないから大変だね」みたいな。言っているほうは善意なのだろうけど、言われる側からすれば純度100%の余計なお世話。善意なだけにタチが悪いですね。いやはや。