ニッポン手話歌の謎

Twitterで「手話」を検索するともうびっくりするくらい出てきますね、手話歌。

僕はあんまりよくわからないので、というか僕の周りだと手話歌が話題になることすらないんですよね。年齢的に・・?笑

なんか大学のサークルとかでやってるっぽい、くらいの認識でした。

Twitterとのギャップにめまいがします。こんなに受け入れられてるんだーと。これをきっかけに手話の存在を知ってくれるなら悪くないのかなという気もします。手話を話せなくとも手話を知っているだけでもろう者に対する接し方は変わるでしょう。

 

ただ、僕手話歌を見てるとちょっと胸焼けしちゃうんですよね。

別に悪気はないんですが、なぜなのか考えてみました。

 

そもそも当たり前っちゃ当たり前ですけどポップスの歌詞みたいな言葉遣いをそのまま日常生活で使ってたらやべぇやつと思われます。日常のコミュニケーションとはかけ離れた歌という表現行為、なおかつメロディに乗せるから許される部分もあると思うのです。

 

だってひとりでは解けない愛のパズルを・・なんて言う?

壊れそうなほど狂いそうなほど切ない夜にはそっと抱きしめて? はイケメンと美女しか許されません。

白のパンダをどれでも全部並べ始めたら救急車です。

どれも古くてすみません。例が偏っているのは認めましょう。

 

普通の聴者だってこんなセリフ言いませんよね。

これはふつーの会話じゃなくて歌だから、表現だから。そしてメロディもあるから赤面もせずに聴けるし歌えるわけです。愛してるの響きだけで強くなれるんです。

しかし僕にとって手話は生活言語なので、気取った言い方されても胸焼けしちゃいます。そもそもろう者がそんな言い回しするかね? 見つめ合わなきゃ素直におしゃべりできないでしょうが(冗談です)。

以上、Twitterのタグ検索をして出てくる動画を見た感想。音量はミュート。

 

ろう者自身が生活というフィールドから離れたところで芸術性の高い手話を話すことがあるのは知っています。手話ポエムとか。ただ、普段見る機会がないですし、僕にとっては第二言語でしかない手話でポエムを表現されてもどこまで理解できるんだろうか、という気もします。

だからきっと、そういうポエムを見ても胸焼けするんじゃないかなぁ、僕は。

感受性が乏しいだけかもしれませんが。

今度見てみます。

 

手話歌の表現ではろう者には通じないとかそういう論争は根深そうなのでここでは触れませんが、そもそも手話歌はろう者のためだけにやっているわけではないですよね? もちろんろう者に伝わらない内容なのに「手話」の名を関するとは何事かという意見もわかりますけどね。