情報革命でろう者は幸せになるのか?

技術革新はさまざまな恩恵を人類にもたらしました…と無駄に壮大に始めましたが、もちろんろう者たちも大きな恩恵を受けています。

 

人と人とを結ぶ通信手段も手紙からFAX、そしてポケベル、PHSにケータイ、スマホとどんどん進化しており、ろうの老人たちはビデオ通話のためにこぞってスマホを求めるようになりました。ある意味でその情熱は若者以上かもしれません。

生まれつきEメールが当たり前だった世代とは気合いが違います。

離れていても自分の言葉で話せることの有り難みはきっと彼らにしかわからないでしょう。

 

聴者とのコミュニケーションもスマホの画面を使った筆談で行えるようになり、今や音声認識でやり取りすることも可能となってきました。ろう者は文字を入力し、聴者はスマホに話しかけるだけでそれなりにコミュニケーションを取ることができます。

 

かつてろう者と聴者の間をつなぐのは手話通訳、ないしは口話法や筆談という感じでしたが、現状の流れが加速していけばおそらく主流になるのは文字通訳になるでしょう。

音声認識のコストは現在進行系で下がっているので、いずれは企業内での会話や一般聴者とのやりとりなどはすべて文字化していく・・という流れになるでしょうね。

現在の音声認識だと、「聞き分け」がまだ難しいレベルにあります。必要な音とそうでない音を選り分けることはかなり上手になってきましたが、近くにいるAさんと遠くにいるBさん、全然関係ない外で遊んでいる子どもの声を別途認識して文字化するのはまだ難しいようです。少なくともスマートフォンのアプリレベルでは。

とはいえそんなことは時間の問題であって、すぐにスマホで使えるようになるはずです。そうなると会議などでもスマホの画面を見ていれば概ね内容を追えるようになります。駅構内でアプリを起動するだけで、なぜ電車が遅れているのかわかるようになる。

そしてその精度はおそらく、そこそこの通訳では太刀打ちできない。

 

そう、今後手話通訳はおそらく文字通訳でまかなわれるようになります。これから自治体、そして大企業から徐々に導入されていくことでしょう。だって圧倒的にコストがかかりませんからね。手話通訳を呼んだら都度お金がかかりますし、会議が長引けばそれだけコストも増えていきます。音声認識のシステムは基本的にランニングコストがかかりません。

 

僕は手話通訳というのは日本語ではなく、手話を母語としているろう者たちのために必要なものなのだと認識しています。極端な話、日本語が母語の難聴者には文字通訳が完備されれば手話通訳は不要となるでしょう。そりゃそうですよね。いくら僕が英語ペラペラだからといってわざわざ日本人の講演を英語で聞こうとは思いませんもん。僕は英語話せませんけどね。例えばです。

 

その結果、現状の手話通訳依頼は激減し、一部の特殊な通訳以外は不要になる。まず自治体の通訳は規模を減らされるのではないでしょうか。これは必要性の話をしているのではなくて、おそらくお上がそういう判断をするでしょう、ということです。手話やろう者のことをよく知らない人であれば、文字通訳あるんだから手話いらなくね? という判断をするのは当然です。

実際はもちろん日本語がそのまま文字になる=内容がろう者に伝わるではないのですが。

 

どうしましょう。

手話通訳で食べて行くどころじゃありません、そもそも僕たちの仕事がなくなるかもしれません(まぁなくなると思います)。僕自身は仕事がなくなることについてそれほど悲観はしていませんが、いずれにせよ技術の発展に合わせて我々も変わっていかなければならないでしょう。

ですがこの業界は未だに「IT化」という言葉が死語になっていないのでいささか心配ではあります・・笑