ろう者がいなくなるとき

幼児に対する犯罪被害はときどきニュースを騒がせます。

僕も子どもがいるので他人事ではありません。

奥様は「そんな人間たち、集めて燃やしてしまえばいいのに(意訳)」という過激なセリフを吐いていましたが、まぁ僕も気持ちはわかります。

そういう我々一般の倫理観からすれば理解できないような人種は排除したいですよね。だって人命は尊重されるべき、という前提、というかおそらく本能に根ざした共通認識を持っていない人間に近づきたいとは思えないでしょう。

 

なぜ当然とされる倫理観を持たないのか? 後天的な理由、軍隊における洗脳や幼い頃に虐待を受けた・・などなど広い意味での生活環境によるものもあると思います。

ただ、そもそも先天的にそういう倫理観を持てない人間もいると思うのです。確率の問題で起こること。言ってみればバグ。

 

一般の倫理観を持たない、もしくは持てない人間をバグと呼ぶのなら、障害者もバグなのでしょうか? 良い悪いはともかく、本来のデザイン通りではないという意味ではそうかもしれません。まぁ、人間の「本来のデザイン」なんて存在しないので、要するに平均的、絶対数の多いタイプの人間ということですが。

 

バグであれば、当然バグフィックスを行います。

障害も大多数の意見は「ないに越したことはない」だと思われます。

聴覚障害の場合、現状先天性のろうを治す(という言葉が正しいのかはわかりませんが)方法はないはずです。人工内耳もあくまで補助的な治療に留まっていますね。ただ今後はわかりません。人工内耳の精度も上がるでしょうし、再生医療という選択肢も出てくるかもしれません。ES細胞的なやつです。また遺伝子工学の発達によりそもそもろうの赤ちゃんが生まれないようになるかもしれません。

これが正しい正しくないはともかく、もしこれらの技術が利用されるようになったら、いわゆるろう者の数は減るでしょう。

 

これは、個人が好きなように選べれば良いとは思います。

生まれてきた子どもが聞こえない、とわかったときに医療関係者なりがろう者という生き方はこういうポジティブな面があって、人工内耳の良さはこれで・・とフラットに選択肢を与えられるのであれば、ね。

が、しかし。俺はろう者なんだというアイデンティティを持っている人たちが、今よりさらに仲間が減ったとき、どこまでアイデンティティを保てるのか。僕はそこが心配です。

ろう者の生き方、行動様式は尊重されてしかるべきですが、ろう者自身が現在よりもさらに、それこそ圧倒的少数派になってしまったとき、ろう者はろう者らしい行動をとり続けられるのでしょうか・・。