デフ・コミュニティ趨勢
スターバックスにて手話カフェという試みを行っているそうで、奥さんが参加してきました。いろいろな店舗で行っているようですね。
内容は聴覚障害を持つスタッフがコーヒーの淹れ方を手話で説明する・・というもので、参加費はフード代のみとなかなか良心的です。参加者はそれほど多くなかった、というかほとんどいなかったようですが、一体どうやって集客をしたのでしょうか。
ろう者社会って集客がなかなか難しいと思うのです。僕は高齢者のデフ・コミュニティの周縁にいるのでわかりやすいというか、彼らは地域のろう協の会員だったり、ろう協主催のイベントに顔を出したりするんですよね。
でも、若い人ってどうしてるんだろうなぁ。やっぱりTwitterやFacebookなのかしら。
というかそもそも若いろう者たちは何かで集まったりしているんですかね。そもそも。
僕たち聴者だって友達同士で集まることはありこそすれ、それ以外では趣味の団体とかそういうものに参加しなければ基本的に何かに所属することはありませんよね。
僕は社会における少数派として、ろう者同士はどこかに集まっているんじゃないか、手話で話すことに飢えて、友達や手話のコミュニティに参加しているのでは? という気持ちがどこかにあったのですが、その前提が間違いなのかもしれません。
大多数の若いろう者たちは僕たちと同じように日々を普通に過ごし、仕事と家族にほとんどの時間を充てているのかもしれない。ときどき友人や恋人といった大切な人と過ごしたりするだけで、不特定多数の人間が集うところにわざわざ出向いたりしないのかもしれません。
僕が当事者から話を聞くかぎり、かつて・・そう、今の高齢者が僕たちの世代だったころ、ろう者は間違いなく社会から弾かれた存在でした。だからこそ団結していこう、同じろう者同士で関わっていこう、という気持ちを強く持てたのです。聴者社会に対する不満ややるせなさ、自分たちを認めてほしいという欲求。そういう気持ちがすべてのろう者の土台として存在していたからこそ、デフ・コミュニティは強固でありえたのです。
少なくとも現代において、障害者を堂々とつまはじき者にする者は人権を無視する社会不適合者だと思われるので、かつてのようにあからさまな差別を受けることは減ったでしょうね。
おまけインターネットの発達により、相手がろう者にせよ聴者にせよ、いつでもどこでもテキストやビデオチャットでコミュニケーションを取れるようになりました。もはや聴者社会は強大な敵ではなく、自分たちが所属する集団として認識されているのかもしれません。
それゆえデフ・コミュニティは聴者社会に適応して、埋没しつつあるのかもしれません。ヒアリング・コミュニティが存在しないように、今後デフ・コミュニティというものは存在しえなくなるのでしょうか。
こうだったのが
こうなる感じです。
言語が違う以上、完全にコミュニティがなくなることはないと思いますけど、従来のような画一的なものではなくなる可能性が高いですね。
うーん、それはそれで別の問題を引き起こすような気もしますし、ちょっと寂しいかなぁ。
手話はどうなる? ろう文化はどうなる? 僕はどちらかというとろう者だけの国を作ったらいいのにと思う側の人間なのです。
あ、それだと仕事なくなるし、奥さんとは離ればなれになりますね。
親権どうしましょうか・・。