手を叩いて呼ばれたら

以前、ろう者が声で聴者を呼ぶのはアリかナシか、という記事を書きました。

 

そこでも少し言及しましたが、手を叩いて聴者を呼ぶろう者もちょこちょこいます。聴者にとってはこの行い、あまり歓迎できない行為のように思うんです。向こうは手を叩いて呼べるけど、こちらはできない。なんとなくアンフェアな感じがしますね。

 

ただ、ろう者のなかでも上記の振る舞いを行う人もいれば、やらない人もいます。何故でしょう?

ちょっと考えたのですが、これは「ろう者」と「聴者」の差異に自覚的かどうかなのかな、と考えています。

つまり、ろう者であることに自覚的にな人間は「聴者」「ろう者」というふたつの概念を分けて考えているので、「ろう者の行い」が「聴者」にどのような影響を与えられるのか考えられるのです。逆も然り。

 

自分の行動が聴者にとってどうか? を考えずに手を叩いて呼ぶタイプのろう者は自分がろう者であることに自覚的ではないのかもしれません。

まぁ、わかった上であえてやっている人もいるかもしれませんが(いそうですね笑)。

 

手を叩いて呼ぶ行為とは、かんたんに言えば自分のコストをかけずに相手のコスト負担を強いる方法です。ろう者は肩を叩くにせよ、手招きをするにせよ、相手を呼ぶには近づく必要があるのですから、そのコストを省略しているわけです。

たとえばお風呂にいるとき大声で呼んだりするのは自分のコスト(風呂上がってバスタオル巻いて。。)と比較して「やむなし」ということで呼んでいる、ということになります。

 

手を叩いたり、声で呼ぶというのは相手に甘えているわけですから、親しい友達や家族ならまぁありえるのかなという感じですよね。

ましてや初対面や知り合い程度の関係性ではちょっとどうなのと思われるはず。

今まで手を叩いて呼びつけてきた人々はきっと優しい人に囲まれてきたのでしょう。意地悪な言い方をすれば、優しい聴者が甘やかしてきたからつけあがっているのです。

みなさん、よく知らないろう者に手を叩いて呼ばれたら聞こえないフリでいきましょう…笑