またもろう者と難聴者問題

最近受けた相談で、ろう協会の役員同士の関係がギスギスしている、というものがありました。聞いてみると役員のなかにろう者と難聴者がいてそこのコミュニケーションが上手くいっていない。はーそうなんですねと深刻な表情で相槌をうっておきましたが、ぶっちゃけ難聴者とろう者の確執はよくある話です。

根深い問題の割に一般聴者から見るとわかりにくいのでしばらくは解決しないような気もしますが、まぁ今の若い人たちがおっさんおばさんになったら解決する気もします。そもそも聴覚に障害を持つ人たちが明確な目的がない限り一緒に活動しなくなりますから。

それに若い人たちはろう者サイドと難聴者サイド・・どちらに属していようと、今の高齢者たちほど思考や思想の断絶も感じませんしね。

 

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相談者が語るには、具体的には会議の進め方や議事録のとり方で衝突があるとのことでした。

ひとつずつの議案に対して意見をとって、全員で承認をして次の議案に進んでいく・・というまぁいわゆる「会議」の進め方を好む難聴側。効率が悪いし文章が多くて意味がわかりにくいと反発するろう者側。相談された方は議事録や質疑の際にも体裁を整えた文章を用いるべきと言われて大変だ、とも言っていました。そう、僕に話を持ってきたのはろう者側。

それゆえ難聴側の役員がどのようなスタンスなのかはちょっとわからないのですが、想像するにそちらも微妙に居心地の悪さを感じているのだと思います。

 

難聴者側もどうしたらいいのかわからないと思っているはずです。

なぜ「普通」のやり方で反発されるのか。

 

彼らは聴覚障害という「ビハインド」を背負ってここまでやってきた自負がある。そりゃーそう簡単に「ろう者」・・ある意味では聴者社会での努力を怠った(ように見える)人々のやり方に合わせるわけにはいきません。「ビハインド」じゃなくて「聞こえないことは個性」というスタンスの人々。なんで聴者社会に合わせた努力をしないのだ、と。

僕は常々思うのですけれど、難聴としてやっていくのは大変なのです。聴者社会で戦っていくには多大な努力が必要です。どこまで行っても「不完全な聴者」というレッテルを貼られたままなのにも関わらず。

 

あくまで私見ですが、いわゆるろう学校を出ていない難聴者のほうがろう者に比べると平均年収、社会的地位、というものは高いと思うのです。当然と言えばそうかもしれません。この社会の多数派である聴者に合わせて生活してきたのだから。マインドもほぼ聴者です。

でもそれぞれの幸福度、というところを見るとどうもろう者のほうがしあわせな暮らしができているんじゃないかなあと思うのです。もちろん僕の観測範囲は偏っているのでどこまで一般性があるかはわかりませんし、絶対に忘れてはならないのは、そもそも社会と関わりを持たない、持ちたくとも持てない難聴の方もきっといらっしゃるのだろうということです。

ただ、ろう者のコミュニティってそういう人を掬い上げている部分もあるのかなと勝手に思っています。経済的に苦しかったり、仕事などで社会的に認められることもないけれど、デフ・コミュニティにいれば結構楽しくやっていける、みたいなね。年金を切り詰めて(って言っても彼らは結構もらってますけど)、移動は無料の都営バス使って、ファミレスやカフェなんかで長い時間おしゃべりをする。それで結構満たされている人もいるように思います。果たして難聴者はそういった寄る辺があるのでしょうか。