新しい手話をつくるのはだれ?

少し前ですが、Twitter上で誤った手話が拡散されて云々というニュースを見ました。

 

ネタが誤って拡散されること自体は仕方ないというか、拡散の勢いに比すると訂正できる人がほとんどいないわけですから難しいですよね。手話という言葉は知られていても、実際に利用する人は超少数派なわけだし。僕の生活範囲ではこの話自体話題になっていませんでしたが、僕が面白いなと思ったのは『尊い』という言葉自体がもともとの「尊い」と異なる意味で使われているということです。

 

主に、自分が好きなアニメのキャラやアイドルに対して使う言葉です。好きを通り越して信仰にも似た絶対的な存在としてアニメのキャラやアイドルを大事に感じる感情を表しているのです。

 

はーなるほど。プルシェンコの「トスカ」を見て「ジェーニャ尊い…」となるわけですね。「革命」のヤグディンを見て…いやあれはなんか違うな。怖いし。

上記の意味での「尊い」という手話、確かに決まったものはなさそうです。こういう日本語のスラングっぽいジャンル、手話はかなり保守的な印象があります。というかスラングは外来語として扱っている感じです。

例えばいささか古さを感じますが、「萌え」の手話もないですね。じゃあ指文字?

 

例文

さっき教室で出来杉野比に壁ドンしてるの見ちゃった! 正直萌えたわ。。

 

ここの「正直萌えたわ。。」ですが、わざわざ指文字を使って

「正しい」「言う」(指文字)「もえ」「思う」「終わり」

とは言わない気がします。一般的には別の言葉で言い換えるんじゃないのかな。ロールシフトで「萌え」の具体的な感情の動きを説明する。この場合ならドキドキした、背徳的(?)、謎の感動、衝撃などを表現するのではないかと。

もちろんお互いに充分な日本語力があり、スラングの意味もよくわかっている同士のコミュニケーションであればあえて日本語を指文字で引用することはあるでしょう。

ところで、なんで日本語のスラングが手話にならないのかというと、たぶん手話を作っている(という肩書きがある)人たちや手話単語として必要な人たち、つまり日本語の引用では困る人達は使わない言葉だからなのかな、と僕は思うのですがどうでしょう。ってGoogle検索したらなんか動画出てきたけどこれはさすがに(略)

基本的に手話単語自体は制定されてできるものではない、あくまで自然発生的に・・というのはもちろんそのとおりなのですけど、手話を作っている(という肩書きがある)人たちが制定したものもときおり一般ろう者のツボに入って継続的に使われているものもありますからね。

 

日本語と同じように、新しい手話が増えていく裏できっと忘れ去られていく手話もあるのでしょう(なんかよくわかんないまとめ)。