コーダとどう向き合う?

先日、国際結婚したろう夫婦に会いました。ご主人が日本人で、奥さんは東南アジアの出身だったかな。奥さんは日本語の読み書きはできないけれど、日本手話はまぁまぁ覚えていましたね。

 

ちょっと心配だったのが、お子さん(コーダ)のコミュニケーション力が少し不足しているのではないかなということ。なんというか、ほとんど喋らないんですよね。男の子は4歳で上の娘と同級生だし、誕生日もほとんど変わらない。もちろん男児のほうがシャイな傾向にあるし、そもそも家の外ではほとんど喋らない内弁慶タイプの子どもは多いと思います。娘も外ではほとんど喋りません。特に初めて行くような場所であればなおさら。

 

ただ、そういうタイプの子どもは緊張して固まってしまう、というパターンがほとんどなんですけど、その子は緊張している様子は見られなかったんですよね〜。さらに、親の言うことをほとんど気にしていない(これも機嫌によってはよくあることだけど)、僕ともコミュニケーションを取ろうとはしない。欲求を一方的に伝えるだけ。
「欲求を満たすために対話をする」というスタンスがほとんど見られなかったんです。自分の希望がかなわなかったとき、上の娘であれば「何故ダメなのか」という質問をしてきます。彼はそういったことはせず、繰り返し自分の要求を伝えてくるのみ。
もちろん彼はただふざけていただけという可能性もあるのでしょうが・・。

 

このことはご両親とも多少心配しているようで、お母さんは息子の発語の少なさ、そしてコミュニケーション能力について、

 

「私は日本語で育てたいのに夫は手話で話しかけてしまう。甘やかしている」

 

だからコミュニケーション能力が育たないのだ、という趣旨の発言をしていました。
手話で話すことが甘やかすことにつながるのかはわかりませんが、いずれにせよ本質はそこではないように思います。両親がどちらの言葉で話しかけるのかはある程度決めたほうが良いと思いますけど。

ろう者と聴者だから伝わらないのは仕方ない、言語が手話だから、あるいは日本語だから伝わらない、という面があるのは否定できませんけど、そもそも大人と子どもでは聴者同士であろうとろう者同士であろうとコミュニケーションの齟齬は起きますよね。まぁ大人同士でも頻繁に起きますけど、それはともかく。
それをろう者と聴者だから・・という問題にすり替えるのはいささか短絡的だと思いますし、大事なことが見えにくくなってしまいます。結局は言語の問題ではなくて、向き合い方の問題、親と子の関係性の問題なのですから。
きちんと自分の言いたいことを伝えるように、そして相手の言いたいことを汲めるようにお互い努力するということができているか、ということです。

ろう者は不幸なことに、この部分を手話と日本語の問題、障害を根拠にした病理的な問題に置き換えてしまうことが多いです。確かにわかりやすいし、本人たちも自分たちに原因を求めなくて良いので気持ち的にも楽でしょう。
しかしそれは間違っている、と思います。

 

このご夫婦が一刻も早く問題に気づき、親子の関係性が改善されれば良いなと思います。
僕は親との関係性がきちんと育たないまま大人になってしまったコーダをたくさん見てきていますが、彼らは意識しようとしまいと例外なく親を見下します。悲しいことに。